ミスタールマン寺田陽次郎

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ミスタールマン寺田陽次郎

1982年ル・マン24時間レース・IMSAクラスにRX-7が出場しました。
このとき、初めて完走したことが記録に残っています。 1
しかし、これは違いであり、実は1980年にアメリカニュージャージー州のマツダディーラーのオーナーがIMSA仕様のマツダRX-7で出場して、IMSA部門7位、総合21位でフィニッシュしています。これがRE(ロータリーエンジン)搭載車として初めてのルマン完走です。正確には、マツダスピードチームが出場して初完走したのが1982年です。

その功績には、ミスタールマンこと寺田陽次郎氏の活躍がありました。

出典:http://www.photo-ac.com/

 
 

ル・マン24時間レース出場から初完走まで

その道は険しかった

1979年、RX-7 SA22Cでデイトナ24時間レース・GTUクラスをクラス優勝しました。そして、クラス2位、総合で5位、6位入賞と次々と好成績を出していきました。この時のスタッフは、片山義美氏、寺田陽次郎氏、従野孝司氏でした。
その勢いで同じ年の6月、ル・マン24時間レースに、ロータリーエンジンを13Bエンジンにバージョンアップして挑みました。しかし、予選通過タイムに0.96秒届かず、わずかの差で決勝に出れず涙をのむこととなりました。 2
当時のことをマツダオート東京の大橋氏はこう回想しています

この年の参加にあったても賛否両論あったが、時のマツダオート東京社長、伊藤暢英氏の熱意で参加出来た。しかし結果はまさかの予選不通過、私たちは挑戦さえできない惨めさと悔しさのためさめざめと涙を流した。

その後も、出場しますが、リタイヤが相次ぎなかなか思うように結果が出ません。このことからもル・マン24時間レースの過酷さが分かると思います。しかし、マツダオート東京は諦めることなくRX-7で出場し続けました。

念願の完走、そして

1982年、マツダオート東京チームは、マツダスピードというチーム名に変更し、ル・マン24時間レースに出場しました。この時のスタッフは、寺田陽次郎氏、従野孝司氏、アラン・ モファット氏です。最後にガス欠状態になったものの寺田氏の活躍もあり総合14位で念願の完走をしました。
そして翌年(1983年)グループCジュニアクラスが導入され初総合優勝を成し遂げました。その年のル・マン24時間レース終了後、マツダスピードは正式にマツダの子会社となり名実ともにファクトリーチームとなったのです。
この優勝には、やはり寺田氏のドライバーとしての活躍はもちろんですが、優勝を狙えるだけのチーム体制を作ったことが大きいと言われています。 3
それ以降、ル・マン24時間レースで総合優勝した日本車はいません。寺田氏がずっと追い求めていたル・マン24時間レースでの総合優勝がどれだけ価値の高い実績なのかおわかりいただけたと思います。

ミスタールマン寺田陽次郎のその後

マツダオート東京の社員ドライバーとして長年、ル・マン24時間レースに出場してきた寺田氏ですが、RX-7との関わりも深く世界3大24時間レース(※1)に初めて完走した日本人ドライバーとしても有名です。また、長年ル・マン24時間に参戦してきた功績を認められ、ル・マン24時間の主催者であるフランス西部自動車クラブ(ACO)の理事に就任したり、日本人初のスピリットオブルマンを受賞するなど、スポーツカー業界で知らぬ人がいないくらい数々の実績を残しました。マツダオート退職後、現在は、マツダ車専門のチューニングパーツメーカーである株式会社オートエクゼの代表取締役社長に就任して、モータースポーツ文化の架け橋役として活躍中です。 4
寺田氏は、ル・マン24時間レースに出場回数が29回でさらに更新中というスポーツカー界の鉄人であり「ミスタール・マン」と呼ばれています。今後も生涯現役を貫き通す寺田氏の活躍から目が離せません。 5

※1. デイトナ24時間レース(アメリカ)、ル・マン24時間レース(フランス)、スパ・フランコルシャン24時間レース(ベルギー) 6